2015/06/27

うつ病の人に方法で接しようとすると互いを見失ってしまう

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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詰まるところ、うつ病患者を支える家族にできることなんて取るに足らないものばかり?ふと、そんな不甲斐なさに包まれてしまう時ってありませんか?

精神科医でもカウンセラーでもない家族。

福祉の相談援助職でもなく就業支援の専門家でもない家族。
‥‥家族って、うつ病患者に具体的な支援を働きかける肩書きはありません。
誰よりも心配してる?うんわかった。じゃあ、あなたは私に何をしてくれるの?なにを解決してくれるの?優しいけれど抽象的なことばかりだよね、いつも‥‥
私はね、そういうものより具体的な「明日」が知りたいの。それに「うつ病患者に接している家族の感情」なんて興味は無いし、だいち、それにつき合っている心身の強さは無いのよ‥‥
私は治るの?って訊くと「きっと」良くなるとか、そういう願いを込めただけの言葉はもう、うんざり‥‥。病気って「願い」だけで快気しないよね?
心配してるなんてもう言わないで。
何年も聞かされていると嫌になるから‥‥

こんな言い様で切り捨てられてしまった経験は、うつ病家族なら一度や二度はあるんじゃないですか?

「そんな言い方ってないじゃないか!」
と腹を立てること以上にうなだれてしまうのは、内心、言われるとおりだなと思うからなんでしょうね。
家族は、うつ病患者に対していったい「なにをしてあげられるのか?」
具体的になにを?
支えるって言葉ほどいい加減でどうにでもとれる言葉はありませんから。
実は当事者以上に、家族は知っている。自分たちの非力さをね
だから‥‥

うつ病の人への接し方という名の方法論ばかりを追いかける。



精神科医よりカウンセラーより相談援助職より就業エージェントより‥‥他の誰よりも患者を心配していることが深く真実であるほど「あなたになにがわかる?」的なひと言には胸がキューッと鳴るようにして辛い感情が突き抜けます。
こんな時、僕は無力なんだなーって、幾度となく思います。
そもそも、うつ病患者と暮らしている家族にはメンタルスキルがないところからスタートするんですから。


でもね、支えることとは支えられないことから始まるんですよね。
支えるどころか‥‥気分変動だかなんだか知らないけど病気を理由に僕を徹底的に侮辱した妻に、発症直後から無償の愛に包まれることが可能な男じゃありませんでした、僕は。

病気が良くならないから朝まで帰ってこないで!と、言い負かされて「うん、これはうつ病の症状が言わせたことだからさ‥‥」と沈着冷静な感情でかわすことができる人、いったいどれくらいいるんでしょう?最初っから、そういう感情を持てるのは他人ですから。他人?それはつまり主治医とかカウンセラーとか、当事者とは固定された距離感で接する人たちであり、当事者の病気の部分とだけ関係する人たちのことです。言い換えれば、当事者の家族とか配偶者とか恋人とか婚約者とか‥‥人生そのものに関係する必要のない人たちです。
過去、現在、未来。
互いの人生が絡み合いながら生きている、うつ病患者と家族。
考えてみればいつだって冷静でいられるわけがないし、うつ病患者と接することは自分の感情と向き合うことでもあるんですからね。


だったら家族の存在なんて何の価値があるんだろうか?

朝まで家に帰れなかった日‥‥清々しい夜明けの空をぼんやり見ながらポツンと浮かんだのは、むしろ「接しないこと」が究極の支えとなるんじゃないの?ってことでした。
無頓着に接しようとするからわかり合えない負のループに陥るんじゃないのか?
じゃあ、僕の存在自体が妻に関与しなければいいんじゃないのか?
すると、妻は自立的に快気していくんじゃないのか?
そうやって、僕自身を否定するのです。

ところが、もうひとりの僕が問いかけるんですよ。
わかっちゃいないとね。

妻は僕に支えて欲しいと望んでいるのではない。苦しみから解決させて欲しいと望んでいるんじゃない。彼女が望んでいることは小手先の理解ではなくて真っ暗闇の心のどこかに僕が存在してくれていることなんだ。
うつ病の妻と一体になって鉛色の心の闇をさ迷うことができるのは、僕だ。
こっちにおいで‥…
明るい向こうから呼んで欲しいのではない。
闇の中で一緒にいて欲しい。
それが妻の僕への本音であると同時に、口には出せぬ禁句なんだ。
禁句?
そう、それがどれほど苦しいものなのか知っているから僕には経験して欲しくない。けれど、知って欲しい‥‥それは矛盾だけれど、だからこそ矛盾をごまかそうとして僕に罵声を浴びせる‥‥

うつ病患者への接し方がわからなくなった時ほど、家族は途方に暮れて小手先の知識でなんとかしようと試みるものです。

そんなとき、真っ暗な夜の闇の中でさんざめく雨に打たれている当事者の姿を想像して欲しいと思うんですよ。
駆け寄ってサッと傘を開いてあげる?
それとも、同じようにずぶ濡れになりながら一緒にいてあげる?

うつ病患者にとっては、雨の冷たさも病気が治る治らないもどうだっていいんですよ。
この闇に一緒にいて欲しい。この雨に一緒にぬれて欲しい。この冷たさに一緒に震えて欲しい。
それだけを‥‥ただそれだけを望んでいる時があるんです。
考えてみれば、寄り添うって、支えるって、そういうものなのかもしれませんね。

肩書きの無い家族にできることって、そういうこと。
でもそれは、精神科医にもカウンセラーにもできないこと。愛し愛され、人生を友にする家族だからできること。

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