「君の苦しみなんてたいしたことないんだよ」
「世の中には、もっと地獄の苦しみを味わっている人がたくさんいるんだよ!」
なんて、苦しみを見比べる場合がありますよね。
たしかにそうなのかもしれません。いえ、そうだろうとも思います。
でも、それを真に受けてしまえば自分もまた誰かの苦しみを見比べてしまうんですよね。
苦しみにレベルを設けて、きっと自分以下の苦しみの持ち主だと思える人物を探しては、同じことを言う。
「比較されると比較する」
それってキリがないんですが、人間って単純です。
ところで、こんなやりとりは僕と妻との間柄でもよくあることなんです。
うつ病の妻、その苦悩度を比較したり評価したりできるんでしょうか?
とにかく今。彼女は悩み苦しんでいる。それなのに、僕はすぐに悩みの中身を調べようとする。そして言う………「そんなことぐらいで」
さらに言う「………に比べたら……ってことないよ」
つまりこんなこと。
「仕事の人間関係に比べたら母親同士の人間関係なんて楽なもんだよ」
ところが、こんなことを妻に言う僕は職場に行くと上司や先輩から言われてしまうのです。
「君なんて絶対オーバーワークじゃないよ!俺なんて君ぐらいの社歴の時にはさあ………」
とね。
苦しみって、何が基準で誰が評価するものなんでしょう?
「はい!君はレベル50だから並の苦しみだよ、ほらあの人の80に比べたら君はマシだよ」
そんなバカな………。
比較なんてできないんですよ。
何が基準、誰が評価。ではなくてね、自分が基準、自分が評価。だと思うんですよ。
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