2015/10/08

うつ病の妻から感謝されたい気持ち

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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妻がうつ病で夫は健常者。そうは言っても、どっちが「うつ病」なんだか判らない場合も多々?あることは事実であり…つまり僕だって、妻以上に鬱的な気分の時はあるんですか ら。

妻が鬱な時は、僕は敏感にその状態を感じ取る。
が、しかし…
僕が鬱的な気分の時は、その悩みや苦しさは誰にも知り得ない世界の中で渦巻いている。そうして苦しさの渦の中で平然と出社し家庭を支える為に仕事につく。
仕事中、社内的にも社外的にも同僚にも僕が人知れず苦しんでいることなど誰もが把握することなどなく、僕自身を癒すものは自分ひとりだけ…

そして、弱り切った自分の状態を知って欲しいのは誰よりも妻であるのに、両者の意思疎通の障壁となるうつ病という存在が、家族の苦しみを患者が察知する以前に吸収してしまう。
でもね、もういいんですよ。それはそれで…正直。

ただ、秘かな望みとして、10年後でもいいから「支えてきたことを相手に心底、感謝されたい」っていう気持ちはあるんですよね。

うつ病が完全に過去のものとなり何年かが経過し、夫婦で夫婦の過去を振り返った時に相手から思いっきり感謝されてる自分がいる。そんなささやかな希望も僕の 心の何処かに存在しているはずと思うんです。誰だって生身の人間ですし慈愛の心だけで配偶者に接することなんてできやしませんし、見返りを求め合う一種の 需給関係があるからこそ元は他人同士である夫婦が、その関係を維持できるのかもしれません。
「あの時の支えがあったから今の私がいる。ありがとう」
そんなひと言が、過ぎ去った深い苛立ちや不安、苦しみを全てリセットしてくれるように思うんですよ。通り過ぎてきた過去や出来事は絶対に消えることは無いけれど、今を変える権利は誰もに与えられたチャンス。
妻に対して理解し続けてきたであろう僕と、日常の大部分において僕の気持ちを理解することを、病気により邪魔立てされてきた妻。
そういう部分の両者の気持ちの隔たりが時を重ねたころに解消されることとなるのは、やはり「うつ病患者からの感謝の気持ち」ではないのかなと思うんですよね。
そんなことを、与え与えられる夫婦の需給関係って考えてしまうと何だか人間臭い話となってしまうんでしょうが、何を隠そう、誰しも人間。わかって欲しいのは「うつ病家それぞれの想い」であると感じるところであります。

うつ病という病気と向き合うってことは大部分が長期戦となるはずと僕は考えてますし、その長い年月の中には場合によって人生の方向性自体を変えてしまう要素も多分に含まれているのではないんでしょうか?

近い将来。
妻が苦しみを振り返った時に「自分を変えてくれたのは薬と医者ではなく、家族である」
そ んな気持ちが心のどこかに存在しているなら、僕は消えぬ過去を誇りとして生きてゆけるはずだと思うのであります。非常に荒っぽい表現かもしれませんが、薬はモノ。医者は他人。モノや他人は役目を果たす行為をしてくれたとしても人生を賭けて相手に接することは不可能だと思うんですよ。
人生を賭ける?そんな オーバーな…?
いえ、決してオーバーでもなんでもなくて人によっては離婚や他界を経験されるケースも無数に存在する、十分に人生観そのものを沈思黙考する機会を与えられるはずであると感じるのです。
人生って何?愛情って何?夫婦って何?自分って何?
人の心は、人の心で変えられるの?
そして・・大切なものって何?
過去は絶対に消し去る事もできず、リセットすることもできないけれども今を一生懸命に生きるという、最も重要な気持ちを造りだす糧となる場合もある。
僕は煩雑すぎる毎日の中で、駆け巡る気持ちをしっかりと刻んでおきたいと思うのであります。

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2 件のコメント:

  1. 感謝されたいお気持ち、よく分かります。
    私もうつ病の彼とおつき合いしています。
    「いつか、心からのありがとうを言われたい。」そう思う自分がここにいます。
    いつか、その日が来るといいですね。
    いや、来ると信じましょうね!

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  2. いつか感謝されたい。
    本当に本当にその通りです。
    そんな日が来ることを夢見ています。

    返信削除

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