2014/11/27

自虐的なうつ病の妻を支えるもうひとりの役回り

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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自分にとってイヤなことが数日後に必ずやってくる………。

そのイヤな日を迎えるにあたって、人は緊張感を積みあげながら憂鬱な毎日を消化していくんだと思います。
例えば一週間後に人事異動の発表がある? そんなとき、いよいよ単身赴任か!?なんて、不安も期待もいっしょくたんになりながら、いえ、きっと不安の方が大きい胸の内は「ゆううつ」です。
それでも、時間とは一定の速度で過ぎてゆくものですからね、やがてその日を迎えた僕は結果を知り一喜一憂するはずです。
僕にとって有益な結果なら嬉しいでしょうし、そうでなかったとしても従うほかないのはサラリーマンの宿命だったり………。

余談はその辺でやめておくとして、

うつ病を患う妻の場合はちょっと違ってきますね。

イヤなことに対する心のスタンスが、ですよ。

ご近所とのつながり、学校行事。
とりわけ、授業参観や保護者会などの学校行事を迎える場合は、少なく見積もっても「ひと月前から心臓バクバク」は決して大げさでもない描写です。
それで、そのことに対してどうして拒絶してしまうのか?についてを自分都合、他人批判でうまいこと紐付けしてゆく妻。
そこに強くて深い憂鬱がからまって、いっそ世界の終わり?でもあるような………。

まるで、自分で自分を強烈に追い込んでいるかのようです。
自分都合・他人批判とはいっても、結局は自分を責めていますから、彼女。
「こうなってしまったのは、あたしが悪いからなんだ。やっぱりアタシはダメな女………」

つまる話、ダメ物語の主人公は常に自分が演じてるんですよね。
もちろん、好きで主人公なわけでもない。望んで主人公なわけでもない。
できれば役をおりて、エキストラでいいと思ってる。
でもね、主役とエキストラを代わってくれる「もうひとりの自分」がいないんですよ。彼女の心の中には………。

ふつう、ひどく自分を責めても「そんなに自分を責めることはないよ」と、かばってくれる自分がいたりするものです。

そういう自浄機能が働かないうつ病の妻は、そんなことないよって優しく励ます役回りがいないんです。


人間って自分を嫌いになろうとすればとことん嫌いになれるから、もうひとりの自分の存在って大事だと思います。
さて、いまのところ。
うつ病の妻の「もうひとりの自分」とは僕なんでしょうね。
自虐的になりがちな妻を、妻に代わって支えてやらなくちゃ。
本当は、自分で支えられるようにはやくなって欲しいなと思っていますが………。

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