2015/10/12

配偶者がうつ病になることは結婚生活の想定外

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
スポンサーリンク

うつ病っていう病気は、当事者や関係者になるまでは他疾患に比べて危機感が薄いというか、想定していないというか、とにかく…通常の人生には現実味の乏しい病気だと思うんですよね…。


結婚して妻がうつ病になるまで、僕はこの病気とは無縁であり極端な言い方をすれば人生のシナリオの中に「うつ病」という言葉が登場するなんて、ありえないと考えていたはずです。
他疾患に比べて危機感が薄いという意味は、たとえば、ガンの発症に備えてガン保険に入るような危機感が持てないと言うことなんですよ。
ガンは誰もが発症するリスクの高い病気だから人生設計の中でリスクとして心構えしておくべきだよと、保険の担当者は言います。
それと同じような感覚で、うつ病をはじめとする精神疾患は誰もが発症するリスクがあるのだから、予防や知識を前もって身につけておくべきだと…いったい誰が啓発するんでしょう?

近年は、職場のメンタルヘルス対策も企業責任として取り入れられていますから「うつ病」というフレーズもさほど解せない印象でもなくなりましたが「うつは心の風邪…」なんてコマーシャルが流れてた頃は、心の病気なんてどういう原理なのかもよくわからないし、とにかく自分とは関係のない話だと認識していた人も少なくないと思うんです。

僕だってそうです。

「うつ病」は結婚生活とは無縁のキーワードだったんですよ。

同時に、自分の人生においても「うつ病」は想定外なことでした。
それがどうでしょう…
愛する妻が、どう理解してどう接すれば良いかもいまひとつわからない「うつ病」とやらにかかってしまった。
そして、妻のうつ病発症を知った時の正直な気持ちは「ショック」の一言に尽きる状況でした。言い換えると、僕と妻の結婚生活に想定外の出来事が起こってしまった……となるでしょうね。



その後、現在に至るまで様々な苛立ちや後悔、失望を抱きながら暮らしているわけなんですが、妻に対する軽蔑や侮辱に類する感情は一切、持っていませんし、むしろ愛情や敬意のほうが芽生えてきたと思うんです。
そりゃ、愛情というものは夫婦関係において存在したかもしれませんが人として人に対する愛情はどうだったのかと考えれば、ちょっとおぼろげかもしれませんからね。
そういう気持ちは他の,心の病気でつらい思いをしている人たちに対してでも同様の思いなんです。

さて、そう言えば…
精神科の待合室に子連れで入っていく時なんかは複雑な心境だったんです。
どうしても子供を親戚に預けられない日は、連れて行かなきゃ仕方ありませんからね。「連れていかなきゃ仕方ない?」って事は、待合室や他の人達に対する嫌悪感?のような感情があったのかもしれませんよね。それ、つまり偏見ですね。

しかし今、僕は普通に精神科の受付けの人に「こんにちわ」と言いながら自然に、椅子に腰掛けて本を読んだりしている自分。
変わったんですよね、知らぬ間に。
待合室でうつむいて背中を丸めてる人、目がギラギラ怒ってる人、そんな人達に「きっと良くなるから大丈夫だよ」なんていう感情がフワッとでてきたりするんです。
偏見が理解に成長していくような、そういう感覚です。

うつ病をはじめとする精神の病気は、関係するまではどうしても「わかりにくさ」を強く印象づけられてしまうものだと思います。
うつ病とガンを単に比較することはできやしませんが、100万人のガン患者に対して300万人超えの精神疾患患者数。
わかりにくさと危機感の薄さは、逆転しちゃいないか?と…考えるところなのです。

スポンサーリンク

コメントを投稿

アクセスの多い記事

sponsor Link

Copyright ©2015 うつ病の妻に僕のしてあげられること Design by Anders Norén Blogger Theme by NewBloggerThemes.com