うつ病の薬は効いているのか?
服用することによって建設的に完治することを約束してくれるのか? 効果と副作用について明確な認知は可能なのか? そんなことを考え始めると、うつ病をはじめ精神疾患に対して服用する治療薬ほどはっきりしないグレーな印象が強いものはありませんよね‥‥もちろん、薬って効果と副作用が共存するのは絶対定義です。そんなこと誰だって理解できます。でも、精神疾患の治療薬は他疾患の薬に比べてやっぱりグレーゾーンが大きいことは否めないと思うんです。
最近‥‥妻がこだわるのは「薬を飲みたくないということ」何と言いましょうか‥‥飲みたくない周期にきているような、そんな感じでもあり‥‥
わかるんですよね、僕もね。
何年も何年も毎日毎日。
抗鬱剤を土日祝に関係なく飲み続けているわけでありますから。
いい加減、なんで毎日「飲まなければならないのか」っていう不安と憤りの混ざったような衝動にかられたって不思議ではありませんし、うつ病の薬物療法を継続しているという事に対して、療法では無く、治らぬから飲み続けなければならないといったネガティブな考え方にもなってしまう。
僕は妻に強く静かに言うんです。
「君はちゃんと、元気になってきてる。」
妻は僕に、物言わずして気持ちを投げかけてきます。
「そんなことわかってる」「わかってても飲みたくない」
「飲んでないあなたに何がわかるの?」
そんな混ぜこぜの気持ちを苦しそうに僕に投げかけてくる。
僕に出来ることは、目をそらさずに、気持ちを背けずに全てを受け止めてやることだけ。
僕はクソ真面目に言うんです。
「治るョ…大丈夫」
他に言葉が無くてね‥‥
僕はね‥‥
うつ病っていう存在が、いくら僕の妻に対する愛情を遮断し、愛情を、単なる義務感に変えられてしまいそうになっても諦めることは無いのです。
でも、そういう僕の気持ちとは裏腹に妻は僕によって支えられるような感覚はおそらくないんでしょう。すると、家族って無知で非力で何の力にもなれないどころか家族の存在自体が患者を苦しめてしまうのか?なんて錯覚させられてしまう時も無い訳ではありませんが、そうゆう回り道を辿りながらも、知らぬ間に、僕自身も「支えるスキル」は向上してるんですから‥‥
なぜなら、うつ病発症当時の僕は、薬を拒む妻に対して、まるで風邪薬を飲むかのように「先生の言う通り飲まなきゃ治らないよ!」なんて他人任せのような文言を並べてる節も多々、あったように思い出されますしね。そんなことを思い起こせば、僕も少しは進歩したかなと? まっ、これを妻に言うと怒られてしまいそうですが‥‥
「先生の言う通り飲まなきゃ治らないよ!」そんなセリフはきっと、外野席からの声援と聞こえたかもしれませんよね。
そんな僕だったから、「飲んでないあなたに何がわかるの?」と言われて、「わかるさ!」と、薄っぺらい理解を前面に押し出していた。
うつ病を長年患うこと、同時に長年、うつ病の治療薬を飲み続けること。
その事実を家族として理解することの難しさ。他人事だなんて思っていない家族。
どうせ他人事でしかないと思う患者。
両者の間を埋める「心の通い合い」はうつ病発症と同時に構築されるような簡単なものじゃなく、長い長い時間を要しながら育てていくしかないような気がするんです。
うつ病患者の苦しみを理解することは、理解されていると患者が思えることによってようやく成立するものなんですね。
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