2015/05/30

うつ病の人にがんばれと言える日はやがて訪れる

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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うつ病の人を励ましてはいけないって言いますよね。

たとえば、「がんばれ」と言ってはいけないと‥‥。
じゃあ、どんな時もうつ病の人を励ますことは接し方のNGなんでしょうか?
僕はね、かたくなに励まさぬことは腫れ物に触る思いで接することと紙一重だと思うんですよ。

よく、うつ病患者への接し方には「励ましてはいけません」とデフォルトで説かれていますからね、ああそうなんだって思う段階は誰しもあるんでしょう。
でも、頑張れって言葉を使わない方が良い時期とそうでない時期があることはたしかです。発病当初、鉛に引きずられるような精神状態であるときに頑張れだなんて、当たり前ですが酷な言葉だと思います。
けれど、うつ病は治る病気です。
つまり、経過があるんですよね。
だから、経過を見守りながら適材適所の言葉をかけてやることは決してNGなことじゃありませんよね。
そうは言っても、せっかく良くなってきたのに無用な言葉を掛けてやったばっかりにうつ病が再燃してしまった、なんてことになれば支える人は罪悪感に苛まれてしまいます。
早く笑顔が見たい。早く薬を飲まぬ日が到来して欲しい。早く‥‥
だから接し方の失敗をしたくはない。でも、ちょっとした気遣いと言葉選びが回復に貢献するのなら‥‥
うつ病患者をサポートする立場の人が、当事者以上に葛藤を繰り返している場合も少なくはありません。
と、ここまでは言わば一般論です。
ちょっと僕たちの話をしようと思います。

もし、励ましがNGだった場合に妻はNGな言葉を受け流すことができるかどうか?
つまり刺激を吸収できるかどうか?ってことなんですよ。
たしかに「頑張れ」と言ってはいけないと思ってきた経緯が僕にだってあります。
頑張れどころじゃなく、いいかげんに頑張ってくれなきゃ困ると心の中で叫んだ経験なんて数知れずです。
でも「うん、じゃあ頑張れよ!」と言えるときの僕をよく観察してみると、自然に発言していることに気づくのです。

どういうことかと言うと、禁句として強く強く意識してきたことは、妻に対して腫れ物に触るような接し方だったことであり、それ以上の悪化を防ぐことだけを考えていたんでしょうね。回復することよりも悪化しないことを望むという考え方です。
もっとも、うつ病発症初期では必要で大切な考え方には違いありませんが永続的に同じスタンスで接することは「うつ病は治る」という前提に反する行為とも言えますから。


「知らぬ間に、うつ病は完治していた。」
そんな、シンプルな病気ではあるわけがないんですが、トンネルの出口を抜けて「うつ病の存在を感じるのは服薬する時のみ」っていう段階に達すると、四方をドーンと障壁で囲まれていた時のような状態ではなく、家族としても自然体のいい感じになってくるんです。
僕の頭の片隅には「今、こけたら相当‥‥深い傷となる」っていう再発に対する警戒は確かにあるけれども、過去のように腫れ物に触れるような感覚を持っているなら、それは絶対に駄目なことであり、故にこれからは、支えるのではなく共に頑張ってゆく関係であるべきだなと思うところであります。

なにごとも、何がなんでも負の要素にしか思考が向かなかい時期はあるんだと思います。けれど、負の迂回をしつつ正へと軌道修正するエネルギーは、実は頑張れない時期に蓄えられてきたんですよね。
そういう生きる力をあたためながら、病状とタイミングと家族の気遣い言葉遣いで、治る力が大事だと思うんですよ。

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