2015/01/21

結婚生活とは?価値観を譲り合うこと

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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ところで、僕の親父は商売人だったんです。
商売人といっても自分ひとりで小さな店をキリモリしていましたね、ずっと‥‥。
だから、物心ついた頃から日曜日に父親と遊んだような記憶なんて僕にはありません。土日に店を閉めるなんてしないので当然の話です。
そんなわけで、親父は毎週、平日に一度だけ家に居ましたが、正直、親父と話すことなんてほとんどありませんでした。それというのも、僕から見ると父親というのは威厳があって軽々しくなんでも喋るような存在ではなかったんですよ。今思えば「遊ぶ」ということをしない人でしたから。
仕事から戻るとビール一本飲みながら、その日の稼ぎを帳面につけているような‥‥。
もちろん、当時にパソコンなんてありません。そして、キリンの瓶ビールが一本以下でもなければ一本以上でもなく、毎日一本。たばこ?親父の時代は今と違って煙草を吸うことが格好いい時代でしたが、吸わない。その他‥‥いわゆる男の遊びなんて無縁の無縁。まるで機械のように同じサイクルで働き続ける。
そのせいか、遊びに連れて行ってもらったとか肩車をしてもらったとかいう記憶なんてなくて、親父と二人きりになると、ただただ流れる空気が重たかったという記憶しかありません。

じゃあ、僕はそういう親父が嫌いだったのか?となると、そうではなくむしろ尊敬しているぐらいですからね。
愚痴なんて言わない、何があっても店は閉めない、贅沢もしない、家族を養うってそういうことなのかなって錯覚?すら、してしまいがちの人生観が知らぬうちに植えつけられていたような‥‥僕には。
実際、自分でも思うんです。家庭に対する接し方は、少なからず親父と重なる部分があるような気もするなぁと。いえ、重なるということではなく知らず知らずのうちに親父を目標としているような。
家族に背をむけて金を稼いでくるのが男の姿??
どうなんでしょうね、でも、生きてる時代が全く違いますからね。

その一方で、妻は真逆の環境で育ってきたようです。
土日と祝日は家族が集まりワイワイガヤガヤ ♪
サラリーマン一家ですからね、妻の場合は。
妻いわく、小さい頃には父親によ~く遊んでもらった、っていう記憶が鮮明にあるそうです。
で、妻がいつも口にする理想の父親像っていうのは、まさに自分の父親を鏡に映しだしたようなもの。

僕と妻。
家庭ってこんな感じの空間、二人の「こんな感じ」は大きくずれているんですよね。
だからどうなんだ?というようなことでもなくて、ずれていようがいまいが夫婦をやり続けてるんですから、二人の成長した環境差はただの余談にしてそのまんま人生を消化してゆけばいいんでしょう。
でもね、「どんな家庭でありたいか?」について、もし、夫婦間で反発し合う箇所が生じるなら譲歩し合う緩みがなければ結果的に関係を解消するしかありませんもんね。

よく考えれば、妻がうつ病になるまではそれぞれが抱く家庭のあり方について反発しあう二人だったかもしれません。

けれど、妻がうつ病になったという夫婦間の大きなイベントを境に、僕はなんとなく価値観を彼女に譲るようになった気がします。


彼女がうつ病になるまで、たくさんたくさん働くことが夫の価値だ!なんて言うと大げさなんですが、実際、そっち寄りの男でした、僕は。
発病して、病気が重くなって‥‥あるとき、救急車で搬送されていった日のこと、ピーポーピーポーって、あの音を思い出すたびに僕は考えるんですよ。
価値観を彼女に譲った‥‥と僕が考えるのなら、妻はそのずっと以前から、僕に価値観を譲ってきたんじゃないか‥‥?、とね。

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2 件のコメント:

  1. サラリーマン家庭が、どこも休みの日は和気あいあいという訳ではないです。
    私の父は営業マンで、転勤族の上、土曜日もまだ半ドンの時代、
    日曜日は接待ゴルフで、ほとんど家にはいませんでしたし、遊んで貰った記憶もない。
    仕事の出来る人ほど家庭を犠牲にせざるを得ないのがサラリーマンの宿命ですよね。
    奥様は、恵まれた家庭に育った方なので、価値観の違いが余計に顕著だったのでしょうね。

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    返信
    1. 平凡な夫2015/01/22 22:05

      おっしゃるとおりですね。「サラリーマン家庭が、どこも休みの日は和気あいあいという訳ではない」と補足的に記しておく配慮も必要だったかもしれませんね。

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