2015/01/12

弱り切った妻と夫の存在感 / 妻がうつ病になってわかったかもしれないこと

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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男にはわかりづらいことかもしれませんが‥‥

女性は結婚すると子供を産み、そして子育てを始める。

おむつを替えてミルクや母乳を飲ませることは一見あたりまえの風景に見えても大変なワーク、そして夜鳴きにたたき起こされるママの労苦はハンパじゃない。
でも、ハイハイする姿に感動し、ヨチヨチ歩きに拍手を贈る!とそのとき、苦労の全部をザーッと流し去る喜び!

子育てとはあらゆる場面において子供の安全と健康を優先するものでありながら喜びと感動が心の芯から得られるものですよね。

じゃ、男は?
父親にも子育てと我が子の成長への感動はおおいにあるのは間違いありません。
が‥‥しかしですよ、ちょっと悪い言い方をすれば「他人ごと?」のように思わなくもありません。
悪く言えばの話ですけどね。
で、「他人ごと」が言い過ぎだったら「傍観者」?。
つまり、子育てに費やされる直接的な負担度が全然ちがいますから。
見方を変えれば、父親って子育てのいいとこだけを「つまみ食い」してるだけなのに子育てに参加していると錯覚する?
昼夜を問わず絶えず神経をすり減らすようなこと、面倒くさいこと、つらいこと。
それを知っていても、つい僕自身をたてて知らぬふりをしたこと‥‥無いと言えば嘘になりますから。

子供が小さいうちって、10のうち、9の苦労と1の感動じゃないですか。

夫婦は1の感動を共有することが簡単にできても9の苦労を分かち合うことはむつかしいことですよ。

だから、夜泣きをする子供を寝ぼけながら抱っこするママの疲労を知らないままに子育ての感動シーンだけに参加してくるパパだったら、たまに家にやってきては「かわいいねえ~」って目をほころばせる親戚さんと変わらないんじゃないのと言われてしまいそうです。

ちょっと待ってください!
僕だって働いているんですから‥‥。

僕は、妻がうつ病になるまではそんなこと考える男でした。

主婦の子育て、夫の仕事。
どっちも大変なんだから、お互いが役割を全うすることが夫婦関係の「○」なんだって。
でもそれは、そう考える時点で「自分の方が大変なんだ」って言うにも等しいんですよね。
じゃなくて「相手の方が大変にちがいない」と思えるから夫婦なのであって、職場や世の中からそっぽを向かれたとしても自分を肯定してくれる唯一の存在が配偶者であるような気がするんですよ。

どっちかが弱り切ったときにパートナーはどんな存在であるか?
そんなこと考えれば、夫婦関係って無意識なままでは成熟しないものですね。
親にはおこられますが‥‥親の死よりも配偶者の死のほうが心には重いですから‥‥。

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2 件のコメント:

  1. はじめまして。私もあなたと同じ立場です。今日の記事、身につまされる気がします。電子書籍も良かったですが、このブログとても良いブログですね。いつも興味深く読ませていただいています。

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    返信
    1. 平凡な夫2015/01/12 22:10

      はじめまして、コメントありがとうございました。
      少し過剰な書き方だったかもしれませんが、いろんな角度から自己評価する機会があってもいいかもしれませんよね。

      削除

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