2015/01/05

うつ病と姑と孫の顔のこと

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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今年は、僕と妻の実家への年始の挨拶は行かずじまいに終わったんですが。

僕らの場合、双方の実家はそう遠くもありません。だから毎年、子供たちを連れてワイワイガヤガヤとお邪魔するのが「形」でもあり、こういう吉日に孫の顔を見せてやるのが、僕が今までしてこなかった親孝行かも知れませんからね。

じゃ、今年はどうして行かなかったのか?それはね、年末の妻の病状悪化の際に身内関係への敵対心が強めに出てしまい、もともと存在していた嫁と姑のモヤモヤしたものに重なってしまったからなんです。

ようするに、半分が妄想であり病気。残りの半分は実際にある姑に対するモヤモヤ。そう、なにをするにもうつ病の調子をうかがいながらと‥‥。
もちろん、嫁と姑の関係において100パーセント上手くいっている?関係っていうのは・・なかなか少数派でしょうから、平均的には多かれ少なかれ相手への不満はあるんだろうけれど‥‥。
それって、極端な話、嫌悪感みたいな感情なんですよね。で、姑から妻に対して流れる感情もしかり‥‥、別に息子の嫁に会いたいんじゃなくて孫に会いたいのがズバリ本音なんでしょうから。平たく言うと、嫁なんて孫のオマケのような?でもさらに加えて、夫のオマケともなれば余計にミジメですよね。
いえ、こういうことは複雑な親戚感情ですからね、一概には言えませんが‥‥。


結局。

病状に元来の人間関係が重なって、そこにまた新たな妄想が追い討ちを掛けるような‥‥、もうそんなことなら、僕の出した答えは「今年は行かない」でした。

だから、正月出勤をしたことにして「行けない理由」を作り上げた僕。
でも、僕の両親はそろそろ自分の墓はどこにする?ようなことも考えているだろうの歳ですし、孫の可愛さって自分の老いに照らす「華」みたいなもんでしょうから、正直、妻には嘘でもいいから耐えてもらいたいって考えなくもないんですよ。
だから、妻も大事だけど親も大切。
どっちを優先させる?なんて、僕に答えられませんよ。
じゃあ、僕と子供たちだけで行けばいい?それもまた難しい判断なんですよ。
それをすると、今度は被害妄想をあおることになりかねませんから‥‥。
さらには、自分だけ行かないなんて嫁としての立場を傷つけてしまいますからね。

そんな状況にあって救われる思いになるのは、僕の両親が妻の病気に対して「否定」をしないでいてくれること。表面的には、うつ病の被害妄想をふっかけられたらイヤな表情のひとつもでるんですが、そこはやはり表面的。
感情のコントロールは若い者にはない熟練さがあります。
そんあ両親に対して「うつ病の説明」なんて、あまり意味のないことなんだろうし、なによりも、あんまり心配かけたくない気持ちです、僕は。
老いた両親は、そんな僕の気持ちを先回りするかのように寛容でいてくれるんですよ。
だから僕は救われる‥‥、でも、なんだか情けない気持ちにもなる。
こんなとき、僕はいつもうつ病の顔色をうかがいながら物事を進めようとしていますね‥‥。そんな自分に愛想を尽かしながらクダラナイことを考えてみたりと。「うつ病の調子に合わせて正月がきてくれないかな?」なんて‥‥。

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