うつ病がずっと治らないんじゃないか?
攻撃的だったり無為無欲であったり、なかなか健康な心の状態が見受けられない日が続くとつい‥‥そういうネガティブな気持ちになるんです。すると、雨の日も晴れた日もそっと支えてあげようという自信が消え、うつ病を克服する方法について機械的に模索する気持ちがわいてくるんです。
でもね、主治医でもない夫がいくらうつ病の治し方について断片的に知ったとしても、その知識が妻の回復に直結するのか?と考えれば取り立てて有用な知識とはならないでしょうね。
多かれ少なかれ、向精神薬の基礎知識はどのご家族もあるかと思うんですが、根本的に医療者でもなければ多くの臨床ケースにたずさわったわけでもない家族がうつ病の治し方について雄弁を振るったとて、聞かされる患者にはただのノイズでしかないような気がします。
もちろん、家族が知識を持つことは大切なことですよ。
今の治療方法は間違っていないか?
家庭での身体的な不調は副作用の出現ではないか?などの視点を養うには完全主治医任せではダメですからね。結論、家族としての立場をわきまえながらうつ病の知識を身につけておくことが大事なんでしょうね。
大切な人がうつ病になったとき知識武装だけで支えようとすればするほど、もしも病状悪化で激しく衝突してしまった場合にはもろいものです。
具体的には離婚であったり、病気が言わせた言動を絶対に許せない気持ちであったり‥‥、要するに知識だけでは「支えのねばり」が育たないんでしょうね。
たとえば、立派な学識論文を書き上げるほど当事者研究や家族研究をしていても症状が原因となる日常問題が満ちあふれる現場=家庭の中に我が身を置けば紙の上の冷静さと法則を引用するのはなかなか困難なことです。
「それは病気が言わせたことなんですよ」
正論であると同時に、月に数度で10分ほどしか患者と接しない主治医だから、冷静に冷静に言えるセリフです。人間の悔しさとかやるせなさとか切なさとか、そういうものって一行の説明でどうにかなるほど水っぽいものじゃなくてもっとドロドロしたものです。
だから「うつ病がずっと治らないんじゃないか?」と考えてしまうような病状の時は、正直、家族の気持ちがもっともぐらついているときなんだと思います。
でも、ぐらついても倒壊してしまわないのは「支えのねばり」があるから‥‥。
そういうねばりが家族自身を支え、ひいては患者の回復に貢献するはずですよ。
こんなことを言う僕ではありますが、妻のうつ病発症初期は知識は適量ではなく不足、愛情も適量ではなく過剰でした。
なんだそれ!高EE家族じゃないか!
となりそうですが、そうでもありません。僕の場合、高EEは妻ではなく自分に向けて発信してましたから。妻にすればむしろ、無関心な夫のように感じただろうと思います。
ただね、「それは病気が言わせたことなんですよ」という一行がスウーッと気持ちに溶け込んでくるためには、家族が病態に踊らされることはむしろ必要な経験かもしれませんね。最初はわからないけれど、だんだんと理解できるようになるとでも言いましょうか‥‥。
すると、やがて愛情と対応が切り分けられるようになるわけです。
周期的な気分の変動によって都度、家族の気持ちはグラグラするけれど崩れてしまうことのない愛情は決して操作的ではなく、一方でうつ病が治って欲しいばかりに感情が高ぶってしまうことによって対応が直球一本にはならない。
それが大事ですよね‥‥。
対応に演技は必要だけど愛情に演技は無用なのです。
私も旦那のうつ病と向き合って生活してますが、病気が言わせた言葉と頭にでてきても気持ちが過剰反応してしまう時があります。難しいですが、支える気持ちが折れないよう切り分けできるように頑張ります!参考になる文章ありがとうございます
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