うつ病患者が家族に対して負い目を感じてしまうとき
負い目って決定的な気持ちの敗北感であるように思えるんですが、日常のふとした断片に小さくとも大きな孤独とやるせなさを感じる時があるのなら、それもまた「負い目」であるような気がするんですよね。たとえば家族が皆、深い眠りにつく真夜中。
「みんなの寝顔をみていると悲しくなるから‥‥」
眠剤の助け無しでは深く眠れぬ妻の真夜中の孤独と、病中であることのやるせなさ
加えて、薬なんて必要とせずに一日を終えた疲労で眠ることの出来る家族への羨望。そして最後に、「今」起きてしまうから日中に主婦としての役回りをこなせない「負い目」
そんな複雑で悲しくもある妻の心中は、家族の寝顔を「見たくない」っていう強い気持ちを生じさせるんですよ。
でもね、そこにはたしかにママとしての純粋な気持ちはある。
だから、子供たちの無邪気な寝顔には目が行くんだけれど僕は別。
夫の寝顔は、どしゃ降りの雨の向こうでひとり傘を差しているような錯覚におちいるようなものなのかもしれませんね。
「みんなの寝顔をみていると悲しくなるから‥‥」
そう、悲しいんですよ、妻は。
取り残されてしまうんですよ、自分だけが‥‥。
うつ病であり健常者ではない自分だけが‥‥。
だから、眠れない時は一人でいたい。
それが本音なんだろうって思うんです。
じゃあ、いっしょになって夜通し起きていれば妻の心は納得するのか?
‥‥でもないんですよね。
なにも、自分が眠れぬ時は同じように付き合ってくれなんて言ってるんじゃないんです。
むしろ、そんなことされたってまるで「これみよがし」ですから。
そんなことされれば、家族に迷惑かけてるうつ病患者であることを余計に知らしめてしまうハメになって、今度は自責的な感情に包まれるだけ。
そんな一夜を過ごした翌日。
当然のことながら覚醒状態による体力消耗から精神状態は安定しない
その一方で、睡眠と休養によって翌日をリスタートした家族との心の距離感は深まるばかり。そもそも、本人はまだ、昨日のまんまなんですからね。
翌朝になっても、昨日を引きずったままなんですよ。
時間的に一日を区切ることができる僕には、不眠に関する妻の悩みを根っこから共感することは限界があるやもしれませんね‥‥。
心の元気な人々は言いますね。
「そんな悩みは、一晩たったらマシになるから今晩よく眠るといいよ」
なんてね‥‥
一晩たつことのできない彼女にすれば、それは残酷な言葉かもしれません。
「みんなの寝顔をみていると悲しくなるから‥‥」
僕は過去、妻のこの発言を聞いた時に自分の胸に重たい衝撃のようなものを感じたんですよ。
眠れぬというイライラ感で一晩中悶々と過ごし、疲れ果てて朝を迎える中、そうか君は一晩中苦しんでいたんだねと。
その苦しみに体がついていけずに、体は眠れど心は眠らぬ。
そういう窮地に対して、
「どう?少し寝れたみたいだけど大丈夫?」
なんて、皮肉なセリフを投げかける暇があるのなら「寝れてないね、苦しいよね」と、素直に共感してやることが何故できぬのか?
‥‥悲しくなるから。
その言葉にこめられた気持ちに僕は何を感じるのか?
いろんなことを感じ取れるパートナーでありたいと思うのであります。
そこまで考えてくれるパートナーがいるって、いいですね。僕はそれで、失恋しましたから。
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