2014/12/28

うつ病患者への接し方は教科書通りにはいかないこと

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
スポンサーリンク

うつ病の患者を支えている人って、心の真ん中に苛立ちや敗北感のようなものだけが強烈に存在してしまう時ってありますよね。

それって、支えようとする自分が壊れてしまう兆しのようなもの。
頑張れない相手に、頑張りすぎてクラッシュしてゆく支える人。
患者側の頑張れないという病状は注目されるのに、頑張り抜こうと必死で努力する家族の姿は理解されにくいし見えにくいもの。
そうそう‥‥
有識な方は説いてくれます。
「そういう時は、ご家族はこんなふうに考えればいいんですよ」とね。
また、主治医は言うんです。
「しんどいときは子育てに協力してあげてみては?」
そんなことわかってます、知ってます、やってます。

でも、うつ病の妻の介護のために休職したり勤務時間を短縮することってサラリーマンにはけっこう厳しいことです。

僕の24時間を妻の病状に合わせながら費やすことは無理なんです。じゃ、人事評価と妻の心配と、どっちが大事か?なんてクダラナイ問いは非サラリーマンだからこそ言えるような?って、これが愚痴ならもうそれでかまわないんですが‥‥。

とは言いつつ、僕の場合も家族がうつ病を患ったときの接し方について一般論に触れてみることは多々ありますよ。
でも人間ってね‥‥
マニュアルを作るのは上手でも、マニュアル通りに物事を推進したり問題回避したりするのってあんまり上手じゃない。
特に焦れば焦るほど上手くいかない。
言うことなすこと、全部が全部、うつ病の症状にひっくり返されて混乱して疲れ切ってしまうときほどマニュアル通りに展開して欲しいのに。
ましてやつかみどころのない気分変動に対して、マニュアルどおりに対応できるほど愛は器用で冷静でいられないもの‥‥。

だから僕の場合は、うつ病患者への接し方マニュアルは知識としてインプットしても、方法として「あてはめてしまう」ことはしないんです。

それに、心の病気は担当ドクターによってカルテの内容も違ってきたりしますしね。
そもそもうつ病の治療に方法論なんて?
なんだか皮肉っぽい表現になっちゃいましたが‥‥。


うつ病患者の方がいらっしゃる家族の方々に対して僕は思うんです。

うつ病の症状が修羅場のように荒れる場合もあるでしょう?
支える立場の苦労が理解されない、支える努力が報われない、場合によっては患者ではなくて家族が先につぶれてしまいそう・・・
しかも、つぶれそうな家族の気持ちは誰もわからない。
患者からも主治医からも、なんだか世の中からもポツリと離れた空間で宙に浮いてるような自分。
それって、まるで独り相撲?

そんな思いにふけりながら過ごす年の瀬。
子供たちはキャッキャ言いながらクリスマスの次はお正月だと騒いでいますが‥‥
湿っぽさを乾かしてくれるようなはしゃぎ声には救われますね。
妻のうつ病、正月晴れのようにおだやかであることに期待するところであります‥‥。

スポンサーリンク

1 件のコメント:

  1. うつ病の主婦にとって、年の瀬、お正月はハードルが高いものです。
    大掃除も分かっていても出来ない、実家訪問もこれまたストレス…
    出来るだけ、普段の生活ペースを乱さずに、普通でいてくれることが一番なのですが。

    返信削除

アクセスの多い記事

sponsor Link

Copyright ©2015 うつ病の妻に僕のしてあげられること Design by Anders Norén Blogger Theme by NewBloggerThemes.com