2014/11/15

妻がうつ病になった時 病めるときも愛を誓いますか?

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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パイプオルガンの音色に包まれてヴァージンロードを進む彼女。

神父の前で誓いのキスと言葉が交わされます。
「病めるときも………誓いますか?」
「はい誓います」
時間の後ろを振り向けばステキな思い出です。

あれから随分と時は流れました。

が、ふと思えば「病めるとき………」なんですよね、今。



愛を誓うことは簡単だけれど、どんなときも愛を見失わないことは大変な作業ですよね。
今の僕らは子供たちの成長や将来の人生設計などなど、これからのライフイベントについて語り合える二人ではありません。
二人の間にデンと居座る〝うつ病〟
むしろ愛どころではない妻と、愛に試される夫。
そんな二人、子供の面倒や毎日の仕事に追われる時間の流れによっていっそう夫婦の距離感が遠のいていくような気もするような………。

ところで、日本の離婚率もグンと上がりましたよね。

〝離婚経験がある〟人はどこかしら物寂しく人生の陰を生きる人、なんて固定観念はまったく過去のお話。現代はイチバツニバツでもそんなに驚くなかれの世の中じゃないですか?
それどころか偽りの愛に人生を無駄にする方が影の差す人生とも言えそうです。くわえて、愛に試される耐性だって個人差があります。
だから、人生の体裁ではなくて、より自分らしく生きることの価値観を持てる時代、なんでしょうかね。

「病めるときも~誓いますか?」
もちろん、誓いとは互いの人生の束縛じゃありません。
切ろうと思えばいつだって切ってしまえる〝配偶関係〟いくら結婚式で〝誓います〟ってサインしても人間関係の保証ではありません。

そもそも結婚なんて華やかでステキな一瞬を起点にして互いが何かを詮索し合うような長い長い時間を過ごし続けるもの?
また、詮索し合う要因が〝うつ病〟など心の疾患を挙げる人々も決して少なくはない。
「結婚なんて………」
そんな考え方だってあるんでしょう。

でも、僕は彼女と出会って夫婦になって共に同じ時間を過ごして………
こんなことを考えるんです。
妻がうつ病になってから、これまで気づかなかったことが見えてきた。

それは、うつ病の症状に苦しむ妻の姿に映し出される彼女の本当の弱さです。

本当の弱さとは、女としての弱さではなく人としての弱さ。
これについて、僕は男ではなく人として理解できる気がする。
まー、それもこれもうつ病のおかげ?なんてことになれば皮肉なことですね。

病めるときも愛を誓えますか?

………誓えますよ。

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