2015/07/19

うつ病を完治させる最後の壁を破るのは妻だ

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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うつ病って言う病気の内側で自分自身の心が「くすぶった時」

すなわち情緒が不安定で心の調子が不安定である時…
僕は、妻に問うのです。
周囲の不特定な誰かを責めていないか?
暮らしている環境の不特定な何かを責めていないか?
そして、誰かや何かに理由なく不満をぶつけてはいないか?
さらには…
ただなんとなく、自分自身を責めてはいないか?
くすぶっている時は、多分、これといった説明もできぬ理由でもってウンウンと心が唸っているんですから、こうでああだから苦しくて不安であるなんて自己分析できる訳がないんでしょうが。理由なんてないのに「ちゃんとした理由があって落ち込んでいる時以上に、くすぶってしまう」

そろそろ、そういった自分の中の心の歪みを認識しながら軌道修正してゆかなければならないと思うんです。
結局、薬を飲み続ければ治るものでもなく他力本願で病気を完治させる事は多分不可能なんだろうなって感じますし、何よりもそういった事実を患者である妻が把握しないことにはうつ病は完治しないと思うんです。

何年も前に遡ると妻は「うつ病は投薬で治すもの」と少なからず考えていたような節があると僕は感じていましたが、今現在は向精神薬は症状を和らげることが目的であり精神科医は患者に対して症状への対処をアドバイスしてくれるものであり、人間的な部分に触れることは、あくまでも他人としての立場であるって言うニュアンスの考え方を理解しつつあります。
すなわち……

うつ病を治すためには他ならぬ自分自身の気持ちの努力が存在しなければいけない。

抗精神病薬とは、症状を緩和して物事を冷静に考えうる状態にするものであり、気持ちの努力を下支えするための存在。
僕は、そうした考え方が正論であると考えているんですが、当然、症状に個人差があり千差万別であるように治療にも取り組みに対する個人差はありますし、客観的・一般的に通ずる考え方ではないのかもしれませんね。


うつ病克服に対する取り組みの中で、何故?うつ病になったのかを振り返る行為を患者が考え、自分はどういった気持ちの在り方であったのかを自己分析することは良くても、過去を責め、過去の人々を責め、過去から現在に至る周囲の環境を責め、そして最後に「そんな自分を責めてしまう」気持ちに到達するという構図は、何をしても病的な考え方を助長してしまうものであり歪んだ思考を自分の力でコントロールしてゆこうとする事に反するのであります。

他力本願ではいけない。

うつ病は誰かが治してくれるものではない。

投薬を続けることも、周囲に支えてもらうことも「正確に病気を治す」ことには繋がらない。薬も、医者も、家族も、みんなが役目を果たしても妻自身が役目を果たさなければ最後の壁は破れない。


症状が出なくなったから、もう治ったんだろうな?なんて言うのは駄目なんですよね……。根本的に、うつ病と縁を切るには患者自身の力が必要であり、正確に病気を治すことが再発とは無縁となる。僕は今一度、僕自身の心の整理をして病気に向き合ってゆこうと考えているんです。

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