さて、うつ病家族にもゴールデンウィークです。
とは言え、僕は仕事だったり休日だったりと世間が大型連休だと騒ぐような感覚はありませんが。でも、妻がうつ病である僕にとってはゴールデンウィークは本当にありがたいものなんですよね。
なぜって、カレンダーの赤く塗られた日というのは学校が休みだからですよ。
学校が休みと言うことはつまり妻の休息日でもあるってことです。
もとはといえば、子育て>学校>幼稚園>母親同士のコミニュケーションといった流れで妻の鬱は形成されていますから。
もっとも、母親たちのコミュニケーションが原因になるほどコミュニティに積極参加してるの?なんて突っ込まれれば全然そうじゃないんですが、そこは別問題です。
普段から学校行事や保護者会活動にはほとんど参加していなくとも「関係している」だけで得てしまうコミュニケーションの重圧感があります。
よく、なんにもしてないんだからストレスなんて感じるわけないでしょ?っていう人がいるんですが、僕はそこのあたりちょっと違うと思いますから。
うつ病の妻は何もしないんじゃなくて、できないんです。
だから出来ないことに対して自分を責めてしまう。それは大きな精神的負担ですよ。そんなわけで、カレンダーの赤く塗られた日というのは妻の休息日にあたります。
さらに、妻の休息は僕にも連動しているんですよ。
妻の精神的な調子が安定して穏やかであれば、僕も穏やかに過ごすことができるから。
ところで休息日に休息できたならいいんですが、逆に妻の心の中に棲み続けているうつ病の被害妄想的感情が家族に向いてしまえば、それはそれで気の重い話です。
うつ病患者に接している家族がグンと窮してしまうのはこういう時でしょうね。
詰まる話、連休であろうがなかろうが妻の心にはいつも精神病性の不満感が存在するような?その対象は大体決まっているんですが、つまり、家族であり夫であり、元は他人という微妙な距離感の関係である僕自身。そしてその対象が不在の時は他の対象をとっても上手に見つけだすような気がするんですよ。
つまり、学校の稼働日であることのように妻のストレスの要因になっている対象が連休で一時的に解消されても、じゃあ今度は身近な配偶者に妄言的な振る舞いをすることで、いつのまにやら配偶者がストレッサーになっている。
そうして連休が終わると、ストレッサーまた元に戻っている。
キリが無い?たしかにそうなんですが、服薬治療と思考の変換だけではおさまらない根の深さを感じるのであります。
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