妻がうつ病を発症してからというもの、僕がキッチンに立つ機会はずいぶんと増えたように思うんですが‥‥。
これは、もうしかたないからそこに立たされている、っていうんじゃなくてね、「ゆっくりしろよ」と、そんな意味をこめてのことなんです。気持ちを行動で表そうかなと。
いえ、ひょっとすると「理解も協力もしてくれないんだね」と思われたくないのも正直あるような‥‥。
ところで、僕の個人的な夫婦環境と主観による物言いなんですが、男は自分の胸の内で愛情を抱いておけば見えずとも相手に伝わるもんだと解釈しがちです。
一方、女は形で表れてこない愛情を認めないような‥‥そんな気もします。
例えば、僕がいくら妻に対して愛情や心配の「心」を持っていたとしてもね、そのことを言葉や態度で表さなきゃ相手には伝わらない場合もあるような。
家事を手伝う、学校関係の用事を代行する、などなど‥‥カタチとしての愛情を示さなきゃ妻はわからないんですよね。
荒っぽく表現すると、心配してるだけでは無関心と同じ。
だから結果的に、妻の言い分は「あたしは夫に理解されていない」となるような?
もっとも‥‥病気なんですから僕の内なる感情を読み取るなんて、求める方がどうかしてますよね。
キラリと光るダイヤの指輪をプレゼントするより熱いハートを差し出すのが男心?
‥‥なんて考えが、そもそもズレてるんでしょう。
でも、カタチもハートもどっちも大事なはずですよね。
ただ、それらへの価値観の配分が男女では「ちがう」と、そんなところで結論づけておきましょうか‥‥。
とにかく、僕がキッチンに立つ機会が増えれば妻は支えや協力を感じ、イコール彼女の安堵感につながるみたいです。
そんなわけで、今日も夕飯を作る際に僕は台所に立ったんですが‥‥。
妻がこんなことをもらすんですよ。
「昔はアタシのこと、わかってくれてなかったね」
「ふうーん、で、今は?」
「今は、そうね‥‥ちょっとずつわかってくれるようになった?」
「ふうーん」
さりげなく聞いてるように見えても、今と昔の自分をずいぶんと見比べてふり返る僕でした。
妻の気分は大波小波がありますからね。
今日の会話が、このままずっと保障されるもんでもなんでもなくって、再び大不調ともなればこんな平穏な夫婦の会話どころじゃありません。でもそれはそれで‥‥
激しく僕をののしる時も、強い落ち込みで堂々巡りを繰り返す時も、今日のように案外普通な二人の関係性があるからこそ‥‥
プチンと切れてしまわない関係でいられるんでしょうね。
こんばんは。ご夫婦の気持ちとてもよくわかりますよ。我が家もそんな感じなんです。確かに今、子供達の学校の大きい行事が一段落して私も安定してます。だからお互いに冷静に物を言える感じです。こういう時は本当に大事。また来る波に備えて息抜きです。子供達も私の笑顔をみるととてもうれしそうですから。
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