2015/02/28

うつ病と三寒四温と僕の煮え切らない気持ちのこと

posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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うつ病が完治していく過程には調子が良かったり悪かったりと俗に言う三寒四温を繰り返しながらの歩みとなる訳なんですが。

妻が三寒四温の流れにのるいっぽうで、支える側である家族や身近な人々にとっては複雑な心境に陥る時期でもあるんですよね‥‥。
つまり三寒の時点において、次に来るべき四温を信じ切れるのかどうか?ってことなんですよ。
人間って、根っこから前向きにはなれずについ、悪いふうに考えてしまうところがありますよね。
「うん、これもひとつの完治への過程なんだから」
と、信念を以ってして三寒四温という言葉を信じきれるのか。
それとも‥‥
「やっぱり良くなった調子は悪くなるための波動なんだ」
と、つい考えてしまう自分。


こういう気持ちって、うつ病の症状に深く影響を受けていた初期の頃ならば「何があっても治癒への信じる気持ちを絶対に失わない」っていう強い意志と相反するように思うんですが、何故なんでしょうね。調子が悪ければ心にギュッと力をこめて「負けるもんか」と思えるのにね。
なんだか調子が良ければ、今度は良いことを疑うような気持ち。
人間って、未来にあまのじゃくなところがあるんだなって思います。

たしかに、完治した元気な心の妻の姿を今も信じてやまぬことには間違いないんですけどね。
ただ、三寒四温を繰り返す中でよくよく僕自身の心の揺れを見直してみると、三寒の状態で明日を信じきると言うよりも四温を迎た状態で「振り返りながら信じきる」ような?そんな揺れ方を僕はしてるんじゃないのかなって思うんですよね。
そうそう、結果から安心を得るんだから僕は未来には臆病なのかもしれませんね。
だから、治るというポイントに近づくにつれて「やはり最後には治る」っていう気持ちを保持することの難しさを強く感じるんですよ。
どん底の状態ならば、そういう気持ちを奮い立たせて家族を守ろうとする闘志が溢れてましたけど、ゴールに近づいてゆくほど妻の状態に対して客観視しようとするような‥‥?



あったかくなってきました。でも、三寒の状況下で四温の到来を信じきるのではなく、四温が到来してから次の三寒をまたいだ四温に対して希望を寄せているような‥‥理屈っぽいこと考えてます。


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4 件のコメント:

  1. 初めまして!
    以前より、読ませていただいています、よちよちと申します
    私自身が鬱を患っております…
    こちらのブログを読むたびに、主人や家族の思いに触れるようで
    反省したり、気づきが出来感謝しております

    私自身も奥様と同じ回復期で、三寒四温?いや、五寒二温でしょうか
    その中で、患者本人も非常に苦しい思いをされているかも知れませんね
    私も初期は「とにかく休もう!」で、出来なくても納得でしたが
    今は出来るときと出来ないときの差が大きくなり、出来ないときの落ち込みがしんどいです

    ホント、今がまさに一番しんどいな、と感じています
    家族もそうなんですね…
    改めて、認識できました
    家族への感謝の気持ちを忘れず、頑張りたいな~と思います

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    1. 平凡な夫2015/03/02 21:57

      当事者の「波」と家族の「波」
      両者が同じ波を経験するわけではないのでしょうが、互いに乗り越えようとする気持ちは同じですよね。

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  2. いつも読ませていただいています。まさに夫も三寒四温です。「温」の時はほっとする反面、嵐の前の静けさと身構えてしまいます。初期の頃はもしかしたらこのまま良くなるのではないかと期待したこともありましたが「温」の間に疲れやストレスを貯めてしまうのか「寒」がやって来て悲しくなり…そんなことを繰り返してきたので「温」を信じるよりも身構えてしまうことが多くなってしまいました。私も「寒」の時はこれを乗り越えることで回復につながるのだという踏ん張りがきくような気がしますが、「温」になると「ホントかよ。」とひねくれた気持ちができます。完治した姿を夢見てましたが「寒」が来て裏切られたような気持ちになるにつれて、完治した姿をイメージすることもなくなってきたことに気がつきました。「温」の時は確かに調子良さそうなんだけど、発病前とは当たり前ですが全然違う。元気だけど考え方というか感覚というか違うんですよ。やはり別の人格になっていると感じてしまいます。信じたいけど何を信じていくのだろうか?元通り?明るく調子が良さそうであればいい?「温」は本人にとって家族にとって何なんでしょうか?

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    1. 平凡な夫2015/03/02 22:02

      なにも求めようとはせず、ただ霧が晴れることを願う患者。
      そうとは思いたくないものの、ひょっとすると「温」によって見返られる何かを求めている家族。
      そんな家族の気持ちが間違ったものであるかと考えれば、計算高くあるようで愛情高い、切実で純潔な患者への思いでもあるんだと、僕には思えてなりません。

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