2015/11/08

うつ病の母親の症状とうつ病の親を持つ子供の気持ち


親がうつ病であること

母親がうつ病であること
家族がうつ病という病気にかかっていることが原因で、プッと笑えるような出来事があったとてスーッと暗い気持ちになってしまうこと。
子供は、僕が妻のうつ病について混乱する以上に心が不安定だと思うんですよね‥‥

そりゃね‥‥
小学生位のお子さんのいる、うつ病家族で、親がうつ病で精神不安定な状態である時の子供自身の不安感なんてのは、とてつもなく大きなものだと思うんですよね。

特に母親が、うつ病の場合。

夫の立場ってのは、当然何もかもの状況を把握した上での苛立ちや不安なんでしょうけれどね、子供ってのは状況把握なんてしてませんからね。
つまり、「なんだかよくわからないけど」自分のお母さんが物凄く大変なことになってるって、真正面から事態と直面してるんですよね。
「なんだかよくわからない」?いいえ‥‥「全く、何が起こってるのかわからない」その方が、正確かもしれませんね。

「お母さんが変になっちゃった!」
そして、大好きなお母さんは「元気になるの?!」
ねえ!どうなっちゃうの?!なんで泣いてるの?なんでおこってるの?なんで?!
その理由を、知ることも理解することもできない子供心‥‥

夫は、妻の状態に翻弄されて、そして次に「自分」の気持ちの整理に必死となり、そこに、うつ病家族の一員である、子供の抱える不安や時には恐怖に近い感情を置き去りにしてしまう。そんな場面って、時として発生してるはずだと思うんですよ。

置き去りなんて‥‥いえ、置き去りって、そんなつもりはないんです。
子供達のことだって心配なんです。
だけど、そこまで「頭が回らない」時が‥‥あるんですよ。というよりも、「気がつかない」。

確かに、子供だから意味もわからず不安であると同時に、「事態の深刻さ」そのものも理解していないのでは?なんて考え方もできなくはないんですが、子供って大人以上に親の危機的状況を肌で感じ取ることができますよね。

だから、母親が壊れてしまう理由すらわからずに不安な気持ちに包まれるストレスは、大人以上のものがあるはずなんです。
お母さんは少し疲れちゃって、しんどそうにしてるけど大丈夫。
すぐに元気になるからね。
心配なんてしなくていいんだよ‥‥大丈夫なんだよ。

そんな事を言ってみても、目の前で泣き崩れる母親を見て平気なわけないんです。
だって、僕は泣いてる理由わかりますよ。うつ病の症状だってね。
でも、わかんないんですよね。子供は。

うつ病の母親でも子供の前だからとパーフェクトに平静を保つことなんてできませんよね。

そんな事できる余裕があるんだったら、精神安定剤なんて必要ないんだろうし、病気といえる程のものでもないんでしょうし。

こんな場合は何故?自分の妻が取り乱してるのかを、ちゃんと知ってる夫という者が、家族の中で一番冷静に家族全体を支えようとする気持ちが求められると思うんです。
冷静に支えるったって、何するわけでもありませんけど‥‥。

でも、患者も苦しい。そして患者であるという意味すら理解できずに苦しむ子供達。家族は、そんな状況であるということ。

つまり、夫は、会社での大きなストレスと家庭での深い悩みに挟まれて、時にうつ病患者以上に苦しい時がある。
しかしながら、状況を理解することすらできず、目に見えぬ大きな不安を、その小さな胸に溢れんばかりに抱え込みながらも懸命に母親を案じる子供心の存在を忘れてはならないんですね。

それじゃあ、そんな時に家族全員、真っ暗闇のトンネルの中で悲観にくれているようなものなのか?いえ、そうではなく‥‥家族に共通する気持ちがあると思うんですよね。

うつ病患者は、良くなりたいと思うから泣く、怒る、悲しむ。

家族は、良くなって欲しいから動揺して不安に包まれる。
そう。家族みんなが良くなりたいと思う中の、つまづきなんですよね。
逆に考えれば、それ以上悪くならない為の自分たちへの働きかけであるような‥‥
ならば苦しみは、それ以上の苦しみへのブレーキ?

うつ病家族。
本当にいろんないろんな悩み 怒り 苦しみ そして悲しみ。とてつもなくいろんなことがありますね。そんな中、家族の危機的状況の理由すらわからない子供達の存在を忘れてはならないと僕は考えるのであります。

2015/10/30

うつ病の人にイライラしてしまうのは症状と感情のジレンマ


僕に限らず、うつ病の人といっしょに生活しているとイライラする経験ってありますよね。

うつ病の症状と自分の感情に板挟みになってしまったときに生じてしまうイライラのことですよ……。
イライラするといってもそれは瞬間的な感情であり、そんな時、もしも感情を言動に変えてしまえばあとで強い後悔に襲われることは必至なんですが……。
そう…「ああ、また余計なひと言を」と。
たとえば、こうすればいいけれどもしもああだったらダメだからできそうにない、だけどやっぱり……なんて、うつ病特有の堂堂巡りの思考に付き合わされているときですよ。
こういうとき、正直言ってイライラする!のが、うつ病の家族といっしょに生活している者の本音だと思うんですよ。
もちろん、イライラの原因は「人ではなく症状」であることは百も承知なんですが、この場合のイライラは僕らの正しい認識をゆがめてしまって感情的な言動を生み出してしまうような…

もういい加減にしてくれよ!
そんなに悩んだって結論なんかでやしないよ!

言ってることがさっきからグルグル回ってるだけでなんにも解決してないじゃないか?

と、うつ病患者の堂堂巡りをついイライラの感情で受け止めてしまうんです。

で、こんなときこそうつ病の妻を暖かく支えてやらなくちゃならないのに突き放してしまうような態度で接してしまう僕。
するとしばらくして、我に返ったように後悔するんですよ…。

僕はどうしてわかってやれないんだ?
さっきのは彼女がイライラさせてるんじゃなくてうつ病の症状じゃないか?彼女だって僕以上に「自分にイライラしてるんじゃないか!」そういう…うつ病の仕組みをどうして理解してやれないんだよ。
僕はいつもそうやって自分をしかりつけるんですよね。



「だから、こうでああで―――なんだよ!」
そんな言葉で妻をまくしあげる僕。
それって…、怪我をして痛いと言っている人に「なんで痛いんだよ!」と追求してるのと同じですよね。

うつ病が原因で合理的に論理的に物事を考えることができない妻への理解は、解釈だけじゃダメなんですよ。病気のせいでそうなっているんだという解釈が、瞬間的にわき上がる無解釈な感情を修正して、ちゃんと理解してあげること。それが大事なんですよね。
家族がうつ病になったとき、接し方を頭の中だけで理解していてもダメ。
つい、感情を混乱させてしまうようなうつ病特有の症状に遭遇したときに理解が接し方にリンクしなければ、相手も自分も傷ついてしまいますよね。
うつ病の共倒れってそういうことかもしれません。

一見するとイライラするような、またはわがままであるような…妻の態度にブルンブルンに振り回されそうなとき「それはうつ病がさせていること」の仕組みを理解した状態で接することができるのかどうか?
それは、誰もが戸惑ってしまう接している側のテーマだと思うのです。

2015/10/25

環境調整はうつ病の静養に効果的なんだろうか


住環境などの、うつ病患者の生活環境を調整すればうつ病の症状には効果的なのか?

そういう考えもあって、妻は実家での静養を何度も行いました。
すると、妻がうつ病になってからは彼女の実家に静養目的で行ったり来たりの連続でしたから、僕らはほとんど別居生活をしていたことになります。

そういう頃、妻はうつ病の症状で完全にノックダウンしているのに、さらに!ドタバタ騒ぎに加えて、別居生活とか子供の問題とか僕の会社のこととか…

まるでね、ダウンした相手に馬乗りになってさらにトドメをさす?ように…病身の身に生活問題が覆い被さってきたわけですよ。

やっぱり、ちゃんと静養しないといけませんよね。静かに落ち着ける環境でボーッとね、あんまりテンションがあがらないようにして、薬をきっちり飲んでと……。
だから基本的にはうつ病の時に引越しなんてマイナス要因のはずですよ。

いつだったか「うつ病」に関する書籍を読み漁っていた時にも、住環境の激変は喜ばしくないとかなんとか書いてあったように思います。

一方で環境調整はうつ病に効果的だという見解も散見されます。

別居中は毎晩の夫婦カウンセリング?は電話を用いてするわけなんですが短くて30分位、長くて2時間位。耳たぶがツリますね(笑!)
笑ってる場合じゃないんですが!
今は笑えても当時は、そういう行為も僕の体力を搾り取っていくものだったような…?
ホントは、不安をさらに不安にさせないように落ち着けるマイホームで気持ちを鎮めるのがベストなんでしょうが、原因が原因なもんですから仕方ありませんね。

だから、病院を出て、表面上の実家での静養がスタートしてから妻の病状はさらに悪化しています。結果的には怖くて震えてる人間を、さらに遠くにポーンと放り出した?
いくらね、子供達とか自分の両親が側に居ても…あんまり支えにはならなかったはずです。安心できる環境のようには見えるんですが、全然、安心じゃないような?

この辺の心理は非常に奥深く難しい部分だと思います。要は、全然、静養にならないんですよね。逆に一人きりになりたいと切望しだす始末ですから。
そして時々僕に牙をむく。
寂しくて、怖くて、不安で、真っ暗で、追い詰められて、僕に攻撃的なスタンスをとる。でもすぐに疲れて、眠りこける。入院? 鍵付きの部屋?そんなこと……耳たぶが、ツロうが…夜中に車を走らせようが…牙をむいてこようが…明日を信じて夜明けを待つ。朝は必ずやってきてくれました。今はね、牙むいたりしませんよ。毛を逆立てる程度です(笑)過去を思えばかわいらしいもんです

生活環境を変えてやることでストレッサーから妻を遠ざけ、うつ病の症状緩和を目指した体験でしたが、結果論として僕らの場合は効果なしといえます。
それどころかむしろ、家族からの孤立感を深めてしまうことによってうつ病の症状を激しくさせてしまう実感がありました。
生活環境を変えることで生じる新しい生活問題があるようでは、環境調整の利点はなく、余計に患者を追い込んでしまうのでしょうね。
うつ病の対策にはやはり個別スタディといいますか、個人の生活条件やパーソナリティなどで大きく個人差があるんでしょうね。

2015/10/12

配偶者がうつ病になることは結婚生活の想定外


うつ病っていう病気は、当事者や関係者になるまでは他疾患に比べて危機感が薄いというか、想定していないというか、とにかく…通常の人生には現実味の乏しい病気だと思うんですよね…。


結婚して妻がうつ病になるまで、僕はこの病気とは無縁であり極端な言い方をすれば人生のシナリオの中に「うつ病」という言葉が登場するなんて、ありえないと考えていたはずです。
他疾患に比べて危機感が薄いという意味は、たとえば、ガンの発症に備えてガン保険に入るような危機感が持てないと言うことなんですよ。
ガンは誰もが発症するリスクの高い病気だから人生設計の中でリスクとして心構えしておくべきだよと、保険の担当者は言います。
それと同じような感覚で、うつ病をはじめとする精神疾患は誰もが発症するリスクがあるのだから、予防や知識を前もって身につけておくべきだと…いったい誰が啓発するんでしょう?

近年は、職場のメンタルヘルス対策も企業責任として取り入れられていますから「うつ病」というフレーズもさほど解せない印象でもなくなりましたが「うつは心の風邪…」なんてコマーシャルが流れてた頃は、心の病気なんてどういう原理なのかもよくわからないし、とにかく自分とは関係のない話だと認識していた人も少なくないと思うんです。

僕だってそうです。

「うつ病」は結婚生活とは無縁のキーワードだったんですよ。

同時に、自分の人生においても「うつ病」は想定外なことでした。
それがどうでしょう…
愛する妻が、どう理解してどう接すれば良いかもいまひとつわからない「うつ病」とやらにかかってしまった。
そして、妻のうつ病発症を知った時の正直な気持ちは「ショック」の一言に尽きる状況でした。言い換えると、僕と妻の結婚生活に想定外の出来事が起こってしまった……となるでしょうね。



その後、現在に至るまで様々な苛立ちや後悔、失望を抱きながら暮らしているわけなんですが、妻に対する軽蔑や侮辱に類する感情は一切、持っていませんし、むしろ愛情や敬意のほうが芽生えてきたと思うんです。
そりゃ、愛情というものは夫婦関係において存在したかもしれませんが人として人に対する愛情はどうだったのかと考えれば、ちょっとおぼろげかもしれませんからね。
そういう気持ちは他の,心の病気でつらい思いをしている人たちに対してでも同様の思いなんです。

さて、そう言えば…
精神科の待合室に子連れで入っていく時なんかは複雑な心境だったんです。
どうしても子供を親戚に預けられない日は、連れて行かなきゃ仕方ありませんからね。「連れていかなきゃ仕方ない?」って事は、待合室や他の人達に対する嫌悪感?のような感情があったのかもしれませんよね。それ、つまり偏見ですね。

しかし今、僕は普通に精神科の受付けの人に「こんにちわ」と言いながら自然に、椅子に腰掛けて本を読んだりしている自分。
変わったんですよね、知らぬ間に。
待合室でうつむいて背中を丸めてる人、目がギラギラ怒ってる人、そんな人達に「きっと良くなるから大丈夫だよ」なんていう感情がフワッとでてきたりするんです。
偏見が理解に成長していくような、そういう感覚です。

うつ病をはじめとする精神の病気は、関係するまではどうしても「わかりにくさ」を強く印象づけられてしまうものだと思います。
うつ病とガンを単に比較することはできやしませんが、100万人のガン患者に対して300万人超えの精神疾患患者数。
わかりにくさと危機感の薄さは、逆転しちゃいないか?と…考えるところなのです。

2015/10/08

うつ病の妻から感謝されたい気持ち


妻がうつ病で夫は健常者。そうは言っても、どっちが「うつ病」なんだか判らない場合も多々?あることは事実であり…つまり僕だって、妻以上に鬱的な気分の時はあるんですか ら。

妻が鬱な時は、僕は敏感にその状態を感じ取る。
が、しかし…
僕が鬱的な気分の時は、その悩みや苦しさは誰にも知り得ない世界の中で渦巻いている。そうして苦しさの渦の中で平然と出社し家庭を支える為に仕事につく。
仕事中、社内的にも社外的にも同僚にも僕が人知れず苦しんでいることなど誰もが把握することなどなく、僕自身を癒すものは自分ひとりだけ…

そして、弱り切った自分の状態を知って欲しいのは誰よりも妻であるのに、両者の意思疎通の障壁となるうつ病という存在が、家族の苦しみを患者が察知する以前に吸収してしまう。
でもね、もういいんですよ。それはそれで…正直。

ただ、秘かな望みとして、10年後でもいいから「支えてきたことを相手に心底、感謝されたい」っていう気持ちはあるんですよね。

うつ病が完全に過去のものとなり何年かが経過し、夫婦で夫婦の過去を振り返った時に相手から思いっきり感謝されてる自分がいる。そんなささやかな希望も僕の 心の何処かに存在しているはずと思うんです。誰だって生身の人間ですし慈愛の心だけで配偶者に接することなんてできやしませんし、見返りを求め合う一種の 需給関係があるからこそ元は他人同士である夫婦が、その関係を維持できるのかもしれません。
「あの時の支えがあったから今の私がいる。ありがとう」
そんなひと言が、過ぎ去った深い苛立ちや不安、苦しみを全てリセットしてくれるように思うんですよ。通り過ぎてきた過去や出来事は絶対に消えることは無いけれど、今を変える権利は誰もに与えられたチャンス。
妻に対して理解し続けてきたであろう僕と、日常の大部分において僕の気持ちを理解することを、病気により邪魔立てされてきた妻。
そういう部分の両者の気持ちの隔たりが時を重ねたころに解消されることとなるのは、やはり「うつ病患者からの感謝の気持ち」ではないのかなと思うんですよね。
そんなことを、与え与えられる夫婦の需給関係って考えてしまうと何だか人間臭い話となってしまうんでしょうが、何を隠そう、誰しも人間。わかって欲しいのは「うつ病家それぞれの想い」であると感じるところであります。

うつ病という病気と向き合うってことは大部分が長期戦となるはずと僕は考えてますし、その長い年月の中には場合によって人生の方向性自体を変えてしまう要素も多分に含まれているのではないんでしょうか?

近い将来。
妻が苦しみを振り返った時に「自分を変えてくれたのは薬と医者ではなく、家族である」
そ んな気持ちが心のどこかに存在しているなら、僕は消えぬ過去を誇りとして生きてゆけるはずだと思うのであります。非常に荒っぽい表現かもしれませんが、薬はモノ。医者は他人。モノや他人は役目を果たす行為をしてくれたとしても人生を賭けて相手に接することは不可能だと思うんですよ。
人生を賭ける?そんな オーバーな…?
いえ、決してオーバーでもなんでもなくて人によっては離婚や他界を経験されるケースも無数に存在する、十分に人生観そのものを沈思黙考する機会を与えられるはずであると感じるのです。
人生って何?愛情って何?夫婦って何?自分って何?
人の心は、人の心で変えられるの?
そして・・大切なものって何?
過去は絶対に消し去る事もできず、リセットすることもできないけれども今を一生懸命に生きるという、最も重要な気持ちを造りだす糧となる場合もある。
僕は煩雑すぎる毎日の中で、駆け巡る気持ちをしっかりと刻んでおきたいと思うのであります。

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