「健康であること。」
そう、健康であることの有難みなんてことは、いざそれが「そうでなくなって」から気付くことなのかもしれませんよね。
当然ながら、健康の定義なんて個人によってばらつきはあるんでしょうが、僕にとっての定義?は・・・
やっぱり、家族の心の健康なんですよね。
僕も含めて、妻、子供達、そして僕達の家族を取り巻く人達が精神的に健全であること。
そんな範囲の中でも、やっぱり基本的には「家族」の精神的健康状態が良好であることが、僕の幸福感を量るうえでの基軸となるんです。
僕の場合は、家族がうつ病と出会ったことにより、心が健康であることが如何程に大切であるかを体で感じ取った経緯から、今みたいな考え方に到達したんですが職場の同僚の中には当然ながら「人生は心より金」的な?考え方の人間もいるわけでありまして、そんな輩にしてみれば僕のように残業代には目もくれず最低限の仕事を終えて、風のように家路へと向かう僕の姿は、同感できぬ姿に映るようであります。
僕もね、家庭の中に“うつ病”っていう存在が現れる以前は、幸福感を量る尺度なんて“いくら稼いでくるか?”
つまり、バリバリ働いて給料をたくさん稼ぐことが家族の暮らしを豊かにすること=家族を幸せにすること。
・・・的な、考え方だったんですけど、やっぱり人間って・・・
それなりの壁にぶち当たると人生観が変るもんなんですね・・・。
金だけでは豊かにならぬ人生の領域が、確かに在ると気付くんですよね。
いえ・・・、
経済的にも精神的にも豊かで健康で幸せです!
なんて人も確かにいるんですけど、少なくとも僕達の家族においてはその両立は不可であったわけでして・・・(笑)
実は以前、ある寺の境内に立ち寄った時にふと目に入った説教がありまして・・
金で勝っても
地位や名声で勝っても
喧嘩で勝っても
人間で負けたら おわり
といった内容の言葉が書かれているんですよね。
人間で負けたら・・・の部分にはいろんな解釈の仕方があるんでしょうが、僕はやはり“心の健康を失ってしまえば、おわり”と解釈しましたね。
いくら、金を稼いでも、出世をしても、口が利いて喧嘩には負けぬとも、心を潰してしまえば“おわり”だと・・・。
愛する家族が、うつ病となる。そして、家族の生活は独特の緊張感に包まれ見通しのきかない暮らしを余儀なくされてしまう。
全て、うつ病のおかげで・・・
うつ病でさえ、なければ・・・
ならば幸せだったはずなのに・・・
家族は、そう考える程に我を見失いそうになる。・・・
でも、うつ病である患者が少しずつであっても回復への途を辿るのであれば、他に要求するものなんて何にもないじゃないですか・・
やっぱり幸せって・・
愛する対象が、健康であり、生きていることであり、笑顔を見せてくれることであり・・・
それさえ在るのなら・・・
うつ病を発症した家族がだんだんと回復しているのであれば・・・
そして、うつ病が治るのであれば
それが家族の幸せなんですよね。
うつ病の妻に僕のしてあげれること posted by うつ病の妻を支える平凡な夫
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