うつ病との家族の闘い。うつ病の妻を支える家族の軌跡。家族の立場における夫の、過去・現在・そして未来への想い。うつ病とは無縁のそれまでの人生。しかし結婚後に直面した妻のうつ病発症。うつ病って何?心の風邪って何?・・・。無縁と無知に無関心の状態から突如として「精神科」という踏み込んだことのない領域へと飛び込んでしまってから長い長い年月が過ぎ、暗く長いトンネルへ入ってしまった以上、立ち止まる事も、戻って入口から出る事も出来ない。出口から出るしかない。何故なら、うつ病発症の事実は消えはしないから。
けれども、過去は変らぬども未来は変えられる。そんな気持ちだけを頼りに、うつ病という名のトンネルの出口へ向かって前向きに歩んでゆきたい。
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2008年3月28日金曜日

支えを感じ取ること

うつ病、発症当時並みの激しい落ち込みをクリア?してからというもの・・・
僕は以前にも増して台所に立つ事が増えたように思うんですが、これは仕方無しに立たされているというのでは無くって、妻に「ゆっくりしろよ」と・・・いう意味合いを込めて、そういう行動をとっているんです。気持ちを行動で表そうかなと・・・。
そういう行動の裏腹には、なんの理解もしてくれないって思われたくないのも正直・・・、あるかもしれませんね。

ところで僕の個人的な夫婦環境と主観で物を言いますが、男は自分の胸の内で愛情を抱けば見えないところで相手に伝わるもんだと解釈しがちなんですが、女は形で表れてこない愛情を見過ごすような気がするんです。
例えば、僕がいくら妻に対して愛情や心配の「心」を持っていたとしてもね・・・、口にだすとか、はっきりと家事を手伝うとか、学校関係の用事に参加するとか、具体的な「行動」を示さないと妻は解らないんですよね。まして思考能力っていうものが根本的に衰えている状態ですから・・・。
荒っぽく表現すると、心配してるだけでは無関心と同じ。(荒っぽく表現すればの話ですが・・・。)要するにそれは、妻から解釈すると・・・
「あたしは夫に理解されていない・・。」と・・・なるような?

きらびやかに光り輝くダイヤの指輪をプレゼントするより熱いハートを発信する事の方が真実味のある愛だっていうのは男の勘違い?
・・・であって、女はそういう「物」にもキチンと愛を感じ取る?
これは、あくまでも断片的に捉えた僕の個人的考えですから・・・。
そういうケースもあるのかな?という範囲のお話ですけどね。
また・・・話がソレました・・・(笑)。
とにかく、台所に立つ回数を増やすと妻は・・・僕に支えてもらっているという感情が増大し、・・・それは妻の安堵感=癒し・・・につながるみたいです。
今日も晩御飯を作る際に僕は台所に立ったんですが・・・
いろんな会話の流れの中で・・・
「昔は・・・あたしの事、全然わかってくれてなかったね・・・。」(妻)
「あっそう・・・今は?」(僕)
「今は、わかってくれてる・・・。」(妻)
「ふうーん・・・。」(僕)

妻の気分は、大波小波がありますから・・・今日の会話が、このままずっと保障されるもんでもなんでもなくって、再び大不調ともなれば・・・、今日の会話など記憶すら無くなるんでしょうが・・・。
とりあえず・・・、アピール的であるにせよ、行動を伴う事により、はっきりとサポートしてもらっていると理解する事ができる?つまり・・・それは癒されてるって感じられる事なんですよね。自分はソファーに腰掛けてくつろぎながら・・・台所に立つ妻に、いくら心配げに語りかけても・・・、あんまり伝わらないんでしょうね。「わかったフリして何言ってんの?」的に・・・受け止めるかもしれませんし、会話自体を避けるかもしれません。すると例のモヤモヤを胸の内に閉じ込めてしまって次回の「墜ち込み」の材料の一部として格納してしまうような?
勿論、僕がいつもそんなような感じだったわけではありませんが・・・!。
行動で示してくれれば安心する?その安心が一時の「墜ち込み」を回復させてくれる?
僕もずっと・・・は、無理です。体力にも限界がありますから(笑)
しかしながら、しばらくは・・・
おおいに、家事を手伝おうかなと・・・思うんです。
患者にとって、理解し助けてもらっていると認識するって事は、とても大きな癒しとなるはずですね・・・。

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2008年3月23日日曜日

すれ違いから生まれ出るもののこと

理解して欲しい心と・・・理解してあげようとする心。

このふたつの心が正面衝突するならば、うつ病克服へ向けて強力な力となりうる?何故、そんな事を思うのかというと・・・
僕と妻の間柄には「すれ違い」っていう互いの葛藤が時に存在するからなんです。
妻が僕に「わかって欲しい」心の内幕の部分を求めていたとしても、僕は「違う角度」から妻を理解しようとしている・・・。
そんな二人は、結構・・・一生懸命に互いに「・・・しようとする」もんですから結果的には想いが合致することなく「はがゆい」気持ちばかりが募り、そしてそれは苛立ちへと変化してゆくような?

要するに・・・
理解して欲しいのにピント外れの事をされる・・・
理解しようとしているのに、それをわかってくれない・・・
そんな僕と妻の心のキャッチボールは互いに暴投ばかりを繰り返しているかのような・・・?
勿論、たがいの胸元めがけてボールを投げ合う時もある上での・・・、苛立ちと不安の生じる状況の時のお話ではあるんですが、。
おそらく、毎日の暮らしの中で・・・そんな要所をズバリ突いたサポートをこなすことが出来たならば、回復への道のりもそう遠くない話となるような気がしないでもありませんが・・・。
しかしながら、仕事に揉まれ・・・子育てに揉まれ・・・日々の生活に揉まれながら・・・暮らしてゆく以上
なかなかどうして・・・うまくゆかない時のほうが、なんと多いことか?
患者を支える家族の立場からするとね、ひょっとして、「うつ病」っていう病気は僕達の事を試そうとしているのか?なんて気にもなりますしね。・・
ある意味「探り」を入れながら接する事をしなければならない?ちょっと騙しの入ったイヤラシイ考え方になるかもしれませんが、真っ直ぐに直球一本勝負で愛情とやらを降りそそぐばかりでもサポート能力のスキルもレベルアップしてゆかないんでしょう・・・。
うつ克服本に載ってる~頑張れ!は禁句~とかなんとかのような、ノーマルな?知恵はホドホドにして、誰よりも家族が一番承知しているであろう患者の持って生まれた性分や・・・家族の置かれた個別の環境に柔らかく則したサポート能力っていうものは、
うつ病と闘いながら、時間を費やして・・・
僕自身が「すれ違い」の中から創り出してゆくものも、あるかもしれません。

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2008年3月15日土曜日

比較するということ

よく、君の苦しみなんて大した事ないんだよ。世の中には、もっと地獄の苦しみを味わっている人がたくさんいるんだよ!
なんて苦しみや悲しみを比較するような言い回しがありますよね・・・。
戒めと励ましの混ざったような・・・確かにそうかもしれません。いや、そうだろうとも思います。そう言われた人は多分、自分以下だろうと判断した苦しみの持ち主がいたならば、同じ事を言う・・・キリがありませんよね。自分を肯定付ける為なんでしょうね・・・。
こんなヤリトリって僕達、夫婦間でも小さなレベルで存在してますよ。
仕事の人間関係に比べたら、母親同士の人間関係なんて楽なもんだよ・・・と、家庭ではこんな会話。職場に行くと、今度は先輩から逆に言われてしまう・・・僕らの時に比べたら君達、マシな方だよ!って・・・。それじゃあ、一体何が、苦しみのレベルを審査してくれるんだろうなぁと想うんですよ。「はい!君はレベル50だから並の苦しみだよ、ほらあの人の80に比べたら君はマシだよ」なんて言えませんよね・・・。比較はできないんですよね。とにかく今、妻は悩み苦しんでいる・・・悩んでいない自分は、すぐに悩みの中身を調べようとする。
そして言う・・・「そんな事位で・・・」
さらに言う・・・「・・・比べたら・・・って事ないよ」
・・・単なる戒めですよね。そんな過去の一場面もありました・・・。
僕も妻も、色々と悩み苦しむ事がたくさんあるんですが結局は自身と比較するしかありませんよね。自分の苦しみを越えるためには自分を越えるしかないっていうか・・・でも、うつ病の妻は自分自身がグラグラと不安定に揺れている。だから僕が揺れないように支えてやらないと自分を越えれない・・・
僕が支えるだけでは揺れは止まらないから薬も飲む・・・。
比較したって仕方ありませんよね・・・・・。

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2008年3月10日月曜日

うつ病家族の「かわる法則」のこと

人生において絶対にありえないこと・・・
それは・・
かわらないということ。
かわらないってことは、ありえない。
生きてゆけば・・・
かわる。
目に映るものに裏切られた時って・・・
目に映ることはない時の流れに癒されるのが・・・ちょうどいい。
そんな時って・・・
いろんな言葉も、いろんな声も・・・
ただ、うるさく聞こえるだけだから・・・。
時間って・・・最後の最後の自分の味方。

悲しいまま?苦しいまま?辛いまま?・・・
悲しいと感じた瞬間から悲しみの出口へと向かい・・・
苦しいと感じた瞬間から苦しみの出口へと向かい・・・
辛いと感じた瞬間から幸せへの入口へ向かいだす。

時の過ぎ行くのを待つ・・・。
生きる。
かわる・・が、かえてくれる・・・。
かわってゆく・・・。
そして振り向けば・・・今を生きている。

必ず・・・かわる。
かわるってことを知れば・・・
その瞬間、少し楽になっている・・・
ほら・・・
もう、すでにかわってる。

だから・・・
かわらないことは・・・
ありえないこと。

それは・・・
生きているだけで与えてもらえる・・・
人生の最高の法則。

ただ・・・
法則を受け取るためのルールがふたつ。
それは・・・
絶対に自分を責めない事。
絶対に自分を傷つけない事。

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2008年3月7日金曜日

誉めてもらえる喜びのこと

自分の子供を誉めてあげた時って、子供は嬉しそうにしますよね。・・・
子供の性格のタイプにもよると思いますけど、ウチの子の場合は、少し嬉しさを隠すようにしたいんだけど隠し切れずにハニカムような表情になってます。
正直、嬉しいんでしょうね。毎日怒られてばっかりとか、叱られることも誉められることもない・・・なんて関係は子供の心を沈めてしまうでしょうからね・・・・・

会社に行っても、部下は上司に誉めてもらうと、もっと誉めてもらいたいからって、がんばりますからね。
誉めるって事は人の心に力を与えるものかもしれません。
ところで、結婚当初は妻を誉めたような記憶はありませんし、思い出せません。
掃除、洗濯、家事、育児・・・やって当たり前。それが仕事。ずっと家に居るんだから楽なもんだよ。
休憩しながら働いているようなもんだよ・・・と、
ここまで厳しいことは思ってはいませんでしたが、考え方の基本としてはそんな感じだったように思います。

今は、変わりました・・・・・。けっこう、妻を誉めてます。
そりゃ、夫婦ですから誉めたからって子供のように嬉しそうにはしませんが妻の心には届いていると思っているんです。
言葉のエッセンスみたいなものかもしれません。
睡眠薬のように効果がわかるようなものではないにしても、パラパラっと、心にふりかけるような気持ちのエッセンスみたいな言葉は大切だと思ってます。
そうですね・・「誉めてあげる」効果ってのは、僕の妻の場合・・後から時間を置いてジワジワ?効いてくるような?
つまり思い出してみて、昨日の晩に誉めてもらったなと僕が翌日会社に行ってる時に思い出し笑いならぬ思い出し喜び?みたいな気分になってんじゃあないんでしょうか・・?
正直、そんなこと妻に確認してみた経験ってありませんから、真相はいかに?のレベルではありますが(笑)。
でも多分、妻は心の中でハニカンデいるはずです、と 
僕は勝手に解釈しているんです・・・・・。

うつ病患者に日々の生活をブルンブルンに振り回される中、どうしたって「誉める」なんて発想は困難なこともあるんでしょうが・・そんな時こそ「小さな小さなよくできました」を苛立ちのの中に埋没させてしまうことなくきっちりと、わかってあげられる「支える側の懐の大きさ」たるものを失わずにいたいものであります。

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comments
yuzuwomanさんのコメント...

>誉めるって事は人の心に力を与えるものかもしれません。

私も同感です。ただ、生活を送る中で都合良く誉めてもらえる時ばかりではないですから、そんな時は自分で自分を誉めることも大切だと思います。心に力を与えるというのは、自分が役に立っている等の存在価値を見出せるからかもしれません。そのことによって自信が付くという流れなのかな?と私は思っています。

自画自賛かもしれませんが、私も自分を誉めるということを大切にしています。誉めてばかりでもダメですけどね(苦笑)

Re:yuzuwomanさんへ返信
自分を誉める。自分を大切にできる。・・・そういう人が人を大切にし、誉めることができるのかもしれませんね。
患者側、看護側、相互にそういった観念が育てば鬱に負けることはないのかと・・・

2008年3月2日日曜日

心のギブスのこと

交通安全への取り組みなんかでよく見かける「ギブス」。
何かと言うと・・・最近は交通ルールを守らない?(守れない)お年寄りが多いとか・・・。っていうよりもお年寄りの絶対数自体が増えてきてるんですが・・・。そんな、お年寄りの方々は若い僕達のように運動能力が優れていませんよね。ですから長い長い横断歩道なんかを渡る際には青信号になった直後を狙って渡り出すとかいうような思考を追加せざるをえませんし、不意を突かれるバイクの飛び出しなんかに対してもとっさに回避するような身体能力はもはや持ち合わせていないんでしょうね。
そこで、何故?お年寄りが横断歩道を渡りきれずに、結果的に信号無視による・・・なんとかの事故というような現象がおきてしまうのかを検証?するための材料として、若い人達の体にギブス?(・・・昔、巨人の星に出てきた、体にエキスパンダーを張り巡らすような・・・?)を装着さして、お年寄りの身体能力の疑似体験をするわけです。そうすれば・・・よくわかる!何故、横断歩道を渡るのにあれほど時間がかかるのか、何故、俊敏によけられないのか・・・。足早に横断歩道を渡りきり先へ向かう僕達も初めて気付くんですよね・・・。
「横断歩道が長すぎる・・・信号が変わるのが早すぎる・・・」・・・とね・・・。
相手の立場になってみないと解らない事なのに、なかなかその立場を実感する機会がない・・・。
だから、理解しないまま相手を否定する。「何やってんだ!早くしろ・・・ホラ!信号・・・赤に変わってるじゃないか!」・・・とね。
先日、僕自身もうつ病を患えば妻の気持ちをもっと深く理解できていたかもしれないと書きましたが、例えば・・・、「心にギブス」を装着したりなんかするとどうでしょうね?できるわけないんですが・・・。妻は、常に自信が無く、何かしらのアクションを起こす時は必ずタメライマス・・・。出来るかな?無理かな?怖い?・・・。
いつも、心のギブス(=うつ病)が妻の「心体能力」を低下させるんですね・・・。僕も心にギブスをはめれば体感(心感)するはずですよね。やろうやろうと思ってはみても、やれない、出来ない、もどかしさと不安がね・・・。そんな自分が嫌だから自分が自分を否定する・・・。
早くギブスを取り外して軽いフットワークでステップさせてあげたいもんですがね・・・
ギブスがとれた後が一番大切?リハビリ期間って言うんでしょうか・・・?
そういえば担当のドクターも言ってましたね・・・長期間の通院が終わり、病院と薬が疎遠になってくる時期に再発することがある・・・。それじゃ、一生・・・お薬生活?
そんな、後向きの考え方は・・・やめておけってね・・・
いつも自分に言い聞かせるんですけどね・・・
妻の調子がいい時に限ってね・・・、ふと・・・僕の脳裏を横切るんですよ・・・。

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